ラモス瑠偉さんは、日本サッカー界を代表するレジェンドとして知られ、その華麗なプレーと情熱的なキャラクターで多くのファンを魅了してきました。一方、プライベートでは最愛の妻・初音さんとの別れや脳梗塞といった大きな試練を経験し、深い喪失感から立ち直るまでに苦悩を重ねた過去があります。
しかし、そこからの復活劇と新たなパートナーとの出会いは、ラモスさんの人生をさらに彩り豊かにしてくれました。本記事では、そんな彼の再婚や家族構成、子供たちの現在に焦点を当て、サッカー界のレジェンドの“知られざる素顔”を詳しく紐解いていきます。
項目 | 詳細 |
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氏名 | ラモス 瑠偉 (らもす るい) |
帰化前本名 | Ruy Gonçalves Ramos Sobrinho (ルイ・ゴンサゥヴェス・ラモス・ソブリニョ) |
愛称 | カリオカ、エンピツ |
生年月日 | 1957年2月9日 |
年齢 | 68歳 (2025年5月11日現在) |
出身地 | ブラジル リオデジャネイロ市メンデス |
国籍 | 日本 (1989年11月帰化) |
身長 | 181cm |
体重 | 69kg (Jリーグ発表時) ※71kgとの情報もあり |
血液型 | O型 |
利き足 | 右 |
ポジション | MF (攻撃的MF)、FW |
家族 | 長男: ラモス・ファビアノ (サッカー指導者)、長女: FABiANA (歌手) |
ラモス瑠偉の最初の妻・初音さんとの結婚

一目惚れから始まった交際
ラモス瑠偉さんが初音さんと出会ったのは、彼が読売クラブ(現・東京ヴェルディ)で活躍していた20代の頃といわれています。サッカーが好きな共通の友人を通じて知り合い、当時美大生だった初音さんに対してラモスさんが「一目惚れした」と公言していました。交際がスタートすると、初音さんはラモスさんを積極的に支え、彼のサッカー選手としての活躍を陰で後押ししていきます。
オートバイ事故を支えた献身
二人の間をより深く結びつけた大きな出来事の一つに、ラモスさんのオートバイ事故があります。1981年ごろ、オフの期間中にオートバイで事故を起こし、左足すねを複雑骨折する重傷を負いました。
当時は「選手生命の危機」とまで言われる深刻な状況で、ラモスさん自身も精神的に不安定でした。しかし、初音さんは片道2時間以上かけて毎日お見舞いに通い、献身的に看病を続けたそうです。入院直後はラモスさんが「もう来ないでくれ!」と荒れた態度を取ることもあったといいますが、そんな彼の感情を受け止めながらも毎日足を運ぶ姿に、彼は「この人しかいない」と強く感じたと後に語っています。
日本国籍取得と二児の誕生
結婚に至ったのは1984年で、挙式は東京・四谷の聖イグナチオ教会で執り行われました。その後、1989年にラモスさんが日本国籍を取得する際、「瑠偉」という漢字の名前を考案したのは初音さんだったともいわれています。ラモスさんは当時、ブラジルへ帰国する選択肢もあったようですが、初音さんが一人娘であったことや、両親のケアを考慮した結果、日本に残る決断をしました。
さらに二人の間には、長男・ファビアノさんと長女・FABiANA(ファビアナ)さんが誕生し、幸せな結婚生活を送っていたと報じられています。
ファビアノさんには「サッカーという共通言語」で、ファビアナさんには「音楽活動への理解と応援」で、それぞれラモスさんと初音さんが深い愛情を注いでいたことが、多くのメディアで取り上げられています。
妻初音さんの死因とラモス氏への影響

転移性肝がんと末期宣告
残念ながら、初音さんは2011年7月19日に転移性肝がんのため、52歳という若さで亡くなられました。
病気が発覚した時点で既に末期だったといい、余命1ヶ月という厳しい宣告を受けていたそうです。入院から亡くなるまでは10日ほどとされ、この突然の別れはラモスさんにとっても想像を絶する衝撃でした。
当時、ラモスさんは医師から伝えられた「余命1ヶ月」という言葉を、初音さんと子供たちには伏せていたとも語っています。ごく短い期間で容態が急変してしまったため、家族全員が最後まで現実を受け止め切れなかったといわれています。
妻の逝去による自暴自棄
最愛の妻を失ったラモスさんは、大きなショックを受け、一時的に電話番号を変えて誰とも連絡を断つなど、自暴自棄な生活を送っていたと伝えられています。
サッカー界の仲間からの連絡にも応じず、「誰も会いたくない」と周囲に漏らすほど精神的に追い詰められていたようです。
初音さんの葬儀・告別式は、二人が結婚式を挙げた聖イグナチオ教会で行われました。喪主として挨拶に立ったラモスさんは、「なんで僕じゃなくて初音ちゃんなんだ」と涙ながらに語り、周囲の参列者も胸を締めつけられる思いだったと報じられています。
こうした深い悲しみの中で、ラモスさんが再び前を向くきっかけを作ったのは、後述する21歳年下の現在の妻・俊子さんからの叱咤と支えだったというエピソードが、各種インタビューでしばしば取り上げられています。
ラモス瑠偉の再婚相手・俊子さんとの出会い

初音さんの三回忌後の再会
初音さんが亡くなってから約4年後の2015年11月、ラモスさんは俊子さんと再婚しています。実はこの二人、初音さんが生前の頃から面識があったそうです。その後、改めて友人の誕生会などで再会し、初音さんの三回忌を過ぎたタイミングから「真剣な交際」が始まったと報じられています。
当時、まだ初音さんの死から立ち直れていなかったラモスさんは、自分自身に対して投げやりな態度を取っていたといいます。
そんなラモスさんを見かねた俊子さんが、「初音さんはあなたのそんな姿を見たいと思うかな?」「誰があなたの面倒を見るの?」と強い口調で呼びかけたことが、心に響いたと語っています。
21歳差婚と家族の後押し
俊子さんはラモスさんより21歳年下ということもあって、当初は年齢差を気にする声がありました。
しかし、ラモスさん自身は「年齢は関係ない。自分の心を変えてくれた人」という趣旨の言葉で、交際を前向きに捉えていたそうです。約1年半の交際を経て、2015年11月に入籍。2016年2月には沖縄で挙式したとされ、そこには初音さんのお母様やラモスさんのお子さんたちも参加し、再婚を祝福したといわれています。
初音さんの母親も「もう一度幸せになりなさい」とラモスさんの再婚を後押ししていたとも報じられており、実際に俊子さんとも良好な関係を築いているそうです。こうした周囲の理解があったことも、ラモスさんが再び明るい気持ちを取り戻す大きな要因となりました。
ラモス瑠偉の脳梗塞を乗り越える夫婦の絆

俊子さんが救った命
再婚から約1年後の2016年12月末、ラモスさんは脳梗塞で倒れました。自宅で急に言葉が出なくなるなどの症状が起こり、俊子さんがいち早く異変に気づいて救急車を呼んだといいます。診断結果は「右中大脳動脈に血栓が詰まっていた」とのことで、一時は後遺症も懸念されました。
しかし、迅速な処置が功を奏し、ラモスさんは数日後には意識が回復。
懸命なリハビリを行った結果、比較的早い段階で言語機能や運動機能も取り戻すことができました。退院会見では「彼女が気づいてくれなかったら、ここにはいないかもしれない」「命の恩人だ」と何度も口にしており、妻への深い感謝を示していました。
闘病生活とリハビリの現在
脳梗塞からの回復後、ラモスさんはそのまま指導者やタレント活動に復帰しています。
ビーチサッカー日本代表の指揮を執ったり、テレビ番組の解説やバラエティに出演するなど、多方面で活躍を継続中です。現在では俊子さんの献身的なサポートのもと、減塩食や運動療法を積極的に取り入れていると伝えられています。本人曰く、「今度は家族のために健康に気をつけなきゃダメだ」と、これまで以上に生活習慣の管理を意識するようになったそうです。
2023年後半以降も、「できる限りピッチに立ち続けたい」「孫とサッカーボールを蹴り合うのが夢」という抱負を語っており、ラモスさんの元気な姿にファンからも歓喜の声が上がっています(参考:スポニチアネックス 2022年3月29日付インタビュー)。
ラモス瑠偉の2人の子供息子娘と家族関係

長男・ラモス・ファビアノ氏
初音さんとの間に生まれた長男が、ラモス・ファビアノ氏です。1985年生まれとされ、幼少期からサッカーに親しんで育ちました。父親の影響もあって強いサッカー愛を抱いており、国内外のクラブでプレーした後、指導者ライセンスを取得。2014年12月にはFC岐阜SECONDの監督に就任し、29歳という若さでチームを率いた実績があります。
現在はジュニア世代の育成に力を注いでいるとされ、地域のサッカースクールなどで指導を行っている様子がSNSやメディアでも報じられています。ラモスさんいわく「サッカーの知識が自分よりも豊富」とのことで、「サッカーきちがい」と冗談交じりに語るほど、真剣にサッカーに取り組む姿勢を高く評価しているようです。
長女・FABiANAさん
長女のFABiANAさんは1988年生まれで、音楽活動を中心に活躍するシンガーです。2010年に「Stay With Me」でデビューし、ブラジル音楽やR&Bなどを融合させたサウンドを特徴としています。ライブハウスや各種音楽イベントでのステージ活動を続けながら、メディア出演やコラボ企画にも積極的に取り組んでいます。
既に結婚して子供がいるため、ラモスさんにとっては孫の存在も大きな楽しみの一つになっているそうです。脳梗塞からの復帰後、家族ぐるみでテレビ番組に出演した際には「孫の前では甘いおじいちゃん」としての一面を見せ、視聴者の間で話題になりました。
再婚後の子供はいる?
一方、俊子さんとの間には現在までのところお子さんは確認されていません。複数のメディア報道やインタビューでも「再婚による子供はいない」旨が伝えられており、ラモスさん自身も「2人の子供は初音との子供だけ」と明言しているケースがあるようです。
ただし今後については公表されていないため、現時点で公的に確定した情報としては「最初の結婚で1男1女をもうけたのみ」とまとめられます。再婚によってファミリーが増えたわけではないものの、俊子さんは孫を含めた家族と良好な関係を築き、家族行事にも積極的に参加しているといわれています。
まとめ:ラモス瑠偉の再婚子供?妻死因?俊子や初音?息子娘?脳梗塞
ラモス瑠偉さんが歩んできた道のりは、サッカー選手としての輝かしい経歴だけでなく、最愛の妻・初音さんとの別れや脳梗塞など、人生の大きな苦難を乗り越えてきた物語でもあります。
そんな彼を支えたのは、家族の深い愛情と21歳年下の俊子さんの献身でした。再び笑顔を取り戻したラモスさんは、息子のファビアノさんや娘のFABiANAさんをはじめとする子供たちとも良好な関係を築き、孫を交えてにぎやかな日常を送っています。
今もなお、情熱的な指導やタレント活動で注目を集める姿は、多くの人の心を掴んで離しません。これからも家族やサッカー界を大切にしながら、新たな伝説を紡いでいくラモス瑠偉さんに期待が高まります。
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